mellow diary

mellow diary

相変わらず訳の分からないこと言ってます

beech
Amebaでブログを始めよう!
今日ともだちに赤ちゃんが産まれた
よかった
本当におめでとう


あいかわらずストレスは消えない
他のことをしていてもその不満がよぎる
この歳で何をフラフラしたこと考えてるんやろうと
自分でもあきれる

仕事で
自分の労働がきちんと成果に結びつかずに
無駄になっていくことが
無駄になっているとわかってて労力を使っていることが
それだけでストレスになる

まるでうまくいってない

そのくせに仕事以外で力を貸してほしいと言われたりして
不安定になる


山登りの筋肉痛もハンパないし…
しんどい夏やなぁ

新しく始まったばかりの場所は
始まってみないとわからないことばかり
当然慣れもしないし
段取りもままならない
それだけでもストレスだが
なんかそれ以外にもストレスがあって
まだしばらく時間がかかるのかも知れないけれど
はじめの思惑と違う部分はかえていかないといけないだろうし

いやそんなことより
何をやってるんやオレは
というこの思い
やりがいとやりたく無いことの折り合いがつかない

もう少し経過を見なあかんのか

夏やのに遊んでない
この生活を望んだか?
いや望んでない

我慢せなあかんか?
もう少し
我慢しようか…

15日にスケボーをして
危ないコケ方をして骨盤の右側と左手と肋骨を痛める

昨日身体を動かそうと軽くスケボーしたら
これまた危ないコケ方をして胸とまた左手を痛めた…

そして今日仕事中に工具を使って棚を組み立てている際に
手元を謝って工具を顔にぶつけ左のほお骨をあたりを切った…

そういや数日前に指を刃物で切って出血したし
やけに怪我の多い最近の僕
お祓いでもした方がいいのかも

しないけど


そんな中
妻のお腹はビビるぐらいに大きくなっている

そして時折動くお腹を触ってみたりしている

「子供が産まれる」ということに関する情報や物事にたいして
自分の感覚が敏感になっていることがわかる

友人が言った子供が出来たらこれからノンストップ
いやまさにその通りなのだろうと思ったりして

子供が出来たら自分の時間がなくなるとか
自由がなくなるとか
そんなネガティブなことをや
可愛くてしょうがないとか
絶対可愛がりそうとかいうピンと来ないことを言われたりして

確かに
子供というのは僕の生活にドーン!!と割り込んできて乗っ取ってしまうのだろう
ああ面倒くさいなと正直思ったりするけど

だからといって自分の時間という物がどれだけ重要なのかと考えると
元をたどれば世の中全てのことに大して意味なんか無いと極論に達したりして

つまりなんか面倒くさいものって結局
それこそが人間らしいことで
友達付き合いも結婚も仕事も子供も
恐ろしく面倒くさいことに溢れているからこそ幸せなのだろうと思う

今年の大きな転機のひとつとして
7年間お世話になった店を離れることになった

このお店はいわゆる普通の古い民家を改装してカフェにしたお店で
その改装の段階からお手伝いさせてもらい
まる7年過ごさせてもらった

開店当時すでに民家を改装したカフェというのは沢山存在したが
今となっては奈良を代表するカフェのひとつになった

夫婦でオーナーをされていたのだが
数年前から少しずつ旦那さんの方が別の仕事に力を注ぎ始め
それがついにかたちとなり大きなチャレンジとして動き出すことになった

旦那さんが離れるにつれ
カフェの厨房は任されることが多くなり
今年に入ってからはほぼ僕が料理を任されるというかたちをとっていた
自分がこの店を回している感じがそれも悪く無かったのだが
実は旦那さんのチャレンジに僕も引き抜かれることが前々から決まっており
カフェには新たな戦力を補強し
その戦力に任せられるだけの引き継ぎをするのが結構たいへんだった

新しいチャレンジというのも
同じような飲食関係の仕事になるのだけれど
個人経営の飲食店というのとは少し違うので
僕自身もまだどんな風になるのか想像がついていない


店を離れる
ということを口にすると
独立して自分の店を出すのか
と思われることが多い

もちろんそれは望むところではあるけれど
ただ自分の夢を叶えるがためにリスクを冒す
というのは性に合わず
むしろ自分が必要とされている場所があるということが
自分に存在意義をもたらしてくれる
僕はその方がいい

必要とされることはとても大切だ
妻にも友人にも
必要とされる人間であろうとすることは
自分の考えや進み方を軌道修正してくれる


自分の店をという思いは
はじめはまだまだ早いと思っていた
そしてそろそろ思っても良いだろうという時期があり
具体的にこういう風にしたいなと考えるようにはなっている

そして2、3年後以降にチャンスが転がり込めばと
そんなことを考えたりもして

どうなるかわからないけれど
きっとどうなったって悪くはない
そんな自信のような能天気さはある


とにかくまずはひとつ
そしてことしはもうひとつ
登山の何がおもしろいの?

と聞かれる事がたまにあるのだけれど
山の写真やその景色を想像するだけで
楽しそう
と思えないヤツに
なぜ何が面白いのかを説明する必要があるのかと思う


大峰奥駈道は奈良県で3つめの世界遺産に登録された文化遺産だが
その世界遺産に触れようと思えば
それなりの格好と覚悟が必要になる

本来なら世界遺産登録は
その地区を観光資源として大きく格上げさせて
経済を潤すきっかけになるはずのところが
大峰奥駈道は
容易には立ち入る事のできないめずらしい世界遺産だなと思う

十分に世界遺産登録に見合う場所であるとは思うけれど


主催している5月のイベントまで1ヶ月
昨年までとは違い
少し気持ちに余裕はある

自分の出店したいと思えるイベントが
ないなら自分で企画しよう
というきっかけから始まり
しかも地元で開催出来たら雰囲気も良いし絶対楽しいイベントになる
そう信じていろんな人に協力してもらって
今回が3回目を迎える

こうやって企画する事が
自分を人に認めてもらえるひとつのきっかけになるなら
いやらしい話だけどそんな風に思って
企画運営に費やす労力を絞り出している

正直僕自身は
地元の地域活性化に繋がるかどうかはあまり考えていない
そうなれば良いとは思うけど
このイベントがどのように活性化に繋がるかのビジョンはない

それでも
企画した発信元が地元出身の人間であり
その地元を大事に思っているということは間違いなく
そんな僕らがこのイベントを継続していけば
徐々に地元に浸透し影響し
なにか連携するようなかたちになるのかも知れない
そんな話を今日できたので

地元以外からの素材ばかりを持ち込んでいるとしても
とりあえず継続はしていこうと思う
やっぱりそのうち屋外でイイ感じの音楽ライブとか
盛り込んでいきたいね



宇宙から見た地球のような
モノクロのもやっとした写真には
黒い島のようなものが写っており
まだかたちにもなっていないけれど
たしかにそこにいる
というのだ

世間一般的に
あたりまえのように生活の中で過ぎていく出来事
結婚や家族や子供
それが自分にとってはこんなにも特別に思えるのだな
何があたりまえだと言うのか

男にとって子供を授かるというのは
なんとも不思議な感覚だろう
実感もなければ変化も無い
戸惑うばかりだ

でも僕は子供というのは
自分の魂を分けているということだ思う
それは自分も親から分けてもらったもので
そうやって脈々と受け継いでいくもの
いや
そうでも考えないと男は寂しいと思うから


親や奥さんや友達とか
大切な人を裏切れないという思いが
自分の生き方を修正してくれる

子供をがっかりさせるわけにはいかないな
という思いがまた
僕のひとつの大きな支えになってくれんじゃないかと
思ったりして

どうやら僕みたいなもんが親になるようです
主催する春のイベントのための
面倒くさい事を考える日々

公の機関と絡ませることが
地域の振興を考えて地域を巻き込んでいく事が
このイベントを成長させる道筋なんかと思って
なんか窮屈になっていくことに
我慢せなあかんのかなと思ってるのだが

実行委員会と銘打ってるけど
実際は個人で企画運営してるイベントなので
このイベント自体の事だけを考えてたいのが正直な所

地域がどうとか村がどうとか
それって有志で立ち上がった者が考える事やろか
そら職員が考える事ちゃうんか
それが仕事やろうに

と考えてたら
イベントの成長って何やと思えてきた
かたちが変わったらそれは成長とは違う
思ったように出来なくなるなら
企画なんかやらない


はー
ちょっと吐き出して前進もうか 笑


大雪が降ったということだけで
ほとんどのニュースがそればかりを報道した一日だった

もう本当にブログ辞めようかと思いつつ
なんかたまに見たらあいかわらず続けてる人や
いきなり復活した人ととかあって
つられて書いてみることにする

最近ほとんどフェイスブックなるものに依存してる
あれにこんなとりとめも無くだらだらと書いたら
相当しらけられるだろうなと思う

2012年にフェイスブックはじめた人はとても多かったんじゃないか
実際に僕のフェイスブックを取り巻く人たちの増加は著しかった
ほとんどが登録のみなんだけども


今年は少しだけ身辺に変化がありそうだ
仕事のことで
特に僕自身が望んで変化するわけではないのだけれど

僕は働くということについてあまり野心が無いというか
お金を稼ぐ才能がないというか
それでも
とにかく自分が必要とされてそこである程度の責任を負い
やりがいを感じ自分が7分目ぐらい満たされるのであれば
何も文句は無い

自分で切り開いたわけでもないし
そこまで歩み寄って合わせたつもりもないのに
今の現状にある程度の満足を得られていることは幸せなことだと思う


今日はたくさん雪が降ったし
明日も冷え込みそうだから
きっと山に登ると気持ちいいだろうなと思ったりする



土曜日に突然の訃報が届いた
奥さんのおじいちゃんが亡くなったということだった

亡くなったおじいちゃんは数年前に脳出血で半身不随になって以来
病院と施設を行き来するばかりで
最期には肺炎を患い息を引き取った

実を言うと僕は亡くなったおじいちゃんとは会った事が無く
孫の婿ということで出席していたが
お葬式で初めましてという複雑な心境ではあった

親族としてお葬式に出るという事も
もう10年以上なかったし
セレモニーホールで行なわれた立派な葬儀に戸惑う事も多かった

突然とは言っても
そうやって入院したり要介護の状態だったのだから
ある程度の覚悟や心の準備は出来ていたと思うし
享年85歳は長生きされたと思う
だから葬儀自体にお別れの悲しみは漂っていたけれど
悔やまれるような悲痛な悲しみは無かったと思う

ただひとつ悲しかったのは
おじいちゃんの長年連れ添ったおばあちゃんは
もう認知症で状況が何も理解出来ていなかったことだった


曹洞宗のお経は少し変わっていたが
亡くなったおじいさんとは同世代で
ずっと昔から付き合いがあったというお坊さんが
お経を読むのは心にしみる思いがした

人はいつか必ず死ぬのだけれど
その死への怖さを和らげたり紛らわしたりするために
いろんな宗教や葬儀なんかが生まれたんじゃないかと思う

だれもその故人の魂が仏の世界に旅立つ事を
見ることも確認することも出来ないのに
皆がそうなることをイメージして信じて
とても不思議なことなのだけど
それで心が安らぐのだ
そこへ導くのが僧侶の重要な役割であり
やっぱりそれは必要なのだなと思った

むかしから伝わる習慣などは
生活の様式も変わってどんどん薄れていく一方だけど
今それを知っても面白い事や興味深い事は沢山ある
そういうのは
田舎の不便でわずらわしい人間関係の生活のなかで
受け継がれるのだろうと思うし
それはそれで悪くない
それが生活するってことなんやろうと思う

とにかく長生きはしたいな



今日買い物をした
数年前からドはまりしているブランドのパンツを買った
これでsassafrasのアイテムは半袖シャツ2枚シャツジャケ2枚
短パン1本パンツ8本に
好きな人はもっともっと沢山持っているだろうが
ひとつのアイテムが2万超えのこのササフラス
購入には思い切りが必要なのだ

それにしてもこのブランドはかっこいい
2004年にスタートしたまだ新しいブランドだが
本当に僕の心を打った

高校までは部活もしてたし
田舎からほとんど出なかったし
洋服を買いたくても金もないしセンスも無かった

大学生になりバイトをしだして
その収入はほとんど服に消えた
そして数えきれない失敗を繰り返した
でも
自分で服を選んで買って失敗をすることで
センスは成長するとドン小西も言ってた

だから自分の今のセンスは成熟してるんかは
正直わからんが
そんなことより自分がどういう格好をしたいのか
どんな服が好きなのかははっきりした
それが大事なのだと思う

だから30歳を超えてから出会ったこのブランドの良さは
間違いないという自信がある

ちなみにこのsassafrasという単語の意味は
クスノキ科の植物のことで
僕が造形でよく用いる素材もクスノキという
運命的なものも感じているのだ